第36話 自ら進んで

running children 学童期(東京編)

   
 3年生の担任は女の先生で、クラスの生徒たちを下の名前で呼ぶことをポリシーにしていた。

たとえば、「けんちゃん」「たーちゃん」「もとこちゃん」……というように。

そして、「自ら進んでやりましょう」ということをスローガンにしていた。
   

初め、「自ら進んで」という言葉の意味がよくわからず、クラスで一番背が高くて、みんなの中心のような女の子に聞いてみた。

「人に言われなくても、自分からやることだ」と教えてくれた。
   

自分で考えて、考えた通りにやってみることを、とても褒めてくれる先生だった。

   

 あるとき、学校から近くの公園へ、写生に行った。

昔の由緒あるお屋敷の庭を、公園にしたようなところだった。

そこの管理人のようなおじいさんが、いろいろとその公園の説明をしてくれ、私たちもいろいろ質問した。
   

それがとても楽しかったので、クラスの中で意気投合した友だち同士で、学校の近くのあちこちへ行っては話を聞くということを、それこそ自ら進んでやった。

   

children to discover

   

 例えば鶏屋さん(鶏肉の専門店)に行って、鶏肉についていろいろ聞いた。

鶏屋さんは、鶏をさばきながらとても親切に教えてくれた。

「これは心臓、これは肝臓、これは砂袋・・」

時々お客さんに対応しながら、少しも嫌がらず。
   

今でも頭に残っているのは

「鶏の骨は縦に裂けるから、絶対犬にやっちゃだめだよ」

ということである。

   
   

 また、あるときは近くの牧場に、なぜか走って行った。

その頃は、住宅地のそばに牧場があったのだ。

やはり牛のことをいろいろ聞いた。

外で運動したりしていた牛たちが、時間になると並んで牛舎へ帰ってくる。

先頭の牛が、角で牛舎の柵のようなところを開けて入っていくのだった。

牛って頭がいいんだね、と皆で感動したものだ。

   
   

 そんな乗りで、私たちはついに電車に乗って遠出することを計画した。

〇〇に貝塚があるということを聞いたからだ。

貝塚には縄文式土器が埋まっているかもしれない、

縄文式土器を掘りに行こう!

と5~6人だったと思うが、日曜日に待ち合わせて電車に乗って出かけた。

みんなワクワクしていた。
   

train

   

 その場所に着くと、川に沿って少し小高くなっているところがあり、これが貝塚に違いない、と勝手に決め、スコップで掘り始めた。

なにかのかけらが出てくると、これ土器じゃない? などと言いながら、あてずっぽうにあちこち掘った。

   

 しばらくすると、その作業に飽きた私たちは、小高くなった丘のようなところを駆け上ったり駆け下りたりして遊び始めた。
   

とそのとき、友だちのうちの一人の女の子が、駆け下りるときに転んでしまったのだ。
   

   

運悪く、近くの石におでこをぶつけて青くれてしまった。

私たちは動揺したが、リーダー格の男の子が近所の家に走って行って助けを求めた。
   

すると、おばさんが来て、冷やしたらいいと言ってぬれタオルを持ってきてくれた。

友だちは横になって泣いていた。

私たちは冷やしたり、なだめたりしながら、困ったなあと思っていた。

その友達のお母さんに、なんて報告しようかと。

   

 そんなわけで、帰りはみな憔悴しょうすいしていた。

けがをした友だちを、みんなで家まで送って行ったら、お母さんが出てきて怖い顔をしていたが、リーダー格だった男の子がいきさつを説明した。

   

 後日、その友達のお母さんが、担任の先生に問いただしたらしい。

「子どもたちだけで行くことをなぜ許したのか?」と。

私たちは、先生には言っていなかった。
   


どうやら、この一行の子どもたちの親は、先生に呼び出されたらしい。

親の監督不行き届きということのご注意だったようだが、母は次のように言った。

「だけど、こうやって自ら進んでどんどん実行することは、とてもいいことなので、お子さんたちを叱らないでくださいって言ってたわよ」と。
   

元気な子どもたち

   
つまり、私たちは悪いことをしたわけではなく、むしろいいことをしたのだと確信した。

授業で何を勉強したかということは何も思い出せないのに、自ら進んでやったことの記憶は、生き生きとよみがえる。

   

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