母の里で暮らしていた間、祖母がお母さんで、母はお姉さんのような感覚だったように思う。
冬になると、火鉢におこした炭を入れる。
ひしゃくのような形で、底が燃えない素材で格子のようになっている火起こし器に炭を入れて、ガスにかけ炭をおこし、それを火鉢に運ぶ。
祖母は、その入れ物を私に渡して「大きいお炭二つと、細くて小さいお炭を一つ入れてきて」などと言って、炭を持ってこさせるのが習慣のようになっていた。
この役目が好きで、喜んで裏口にある炭俵の中から、炭を選んで入れて持って行った。
「これで、おばあちゃんは炭を取りに行かなくてもよくなって、その時間にほかのことができる。自分はおばあちゃんを助けてるんだ」と心の中で思いながら炭を選んでいた。
火鉢に炭を入れると、ヘラの先がギザギザになった灰ならしで、生けた炭に向かって、灰をなだらかな山のようにかきあげる。
これをするのがまた好きであり、火鉢に覆いかぶさって何回も灰をかきあげ、きれいな模様をつけるのを楽しんでいた。
母が「あんまり顔を近づけると一酸化炭素中毒になるよ」と言いながら通り過ぎて行ったものだ。
時々、出かけた母の帰りが遅くて心配で、祖母に「大丈夫かなあ」と訴えた。
祖母は、必ず目をつぶって左の掌を上に向け、右手の指で、その掌をトントンと叩き、しばらくすると「大丈夫」と言った。
「おばあちゃん、わかるの?」と聞くと、「わかるのよ」と。
それで安心していた。
ある時、祖母が手の甲の皮膚を指でつまみ上げて見せ、「ほら、富士山よ」と。
確かに皮膚が持ち上がって、富士山のような形になっていた。
真似しようとしたが、子どもの皮膚は張っていて、つまめない。どうしてそんなふうになるのか、不思議だった。
今、自分の手の甲をつまんで持ち上げてみると、立派な富士山になる。あのころの祖母よりも、ずっと歳を取ったのだ。
※東京消防庁「住宅で起きる一酸化炭素中毒事故に注意!」
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/hp-kouhuka/pdf/280119.pdf
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