うたごえ喫茶 反省と修正

    
 前回の「うたごえ喫茶きっさ」の記事を読み返してみますと、

ずいぶんとげとげしく批判がましく書きまくっており、我ながら恥ずかしく、また不適切な表現だったと、反省しきりです。
   

   

まるで「うたごえ喫茶」を糾弾しているがごとくですが、お伝えしたかったのは、単に自分には合わなかった、ということだけなのです。

不快に思われた方々も多々いらしたのではと、申し訳なく思っております。

   

 改めて「うたごえ喫茶」について調べてみました。

ウィキペディアによると、

歌声喫茶は、日本共産党を中心として展開された『うたごえ運動』という政治運動において大きな役割を果たしたが、それだけでなく、集団就職で単身東京に移住してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

と、あります。

なるほどそうだったのかと、お恥ずかしいことに、今までそういうことも知らずにおりました。

   

修正版

   

 学生の頃、一時つきあっていた男子に誘われて新宿の「ともしび」に行ったのは、ちょうど昭和40年の冬ではなかったかと思う。

噂に聞いていた「うたごえ喫茶」とはどのようなところなのか、一度のぞいてみたいと思っていた。

   

 楕円形の机の周りに人々が座っており、その間に座ったとき、なんともいえない緊張感があった。

飲み物を注文すると、若い女の人が持ってきてくれたが、それがなんだったか覚えていない。
   

歌集が配られた。

思ったより質素なもので、自分が好きな歌はあまりなく、ロシア民謡とか青春歌謡のような歌がっていたように思う。

   

 リーダーの男性が司会をしており、ちょっと気持ちにそぐわないところもあったが、なんとかこの雰囲気に馴染なじもうと頑張った、という記憶がある。
    

リーダーの音頭に合わせて、さあ歌おうということになった。

みんなが好きな歌は「ともしび」とか「カチューシャ」とか「黒い瞳」などのロシア民謡が多かったように思う。

   

 自分も含めて、集まっているのは歌のプロではないから、どの歌もなんとなく、一本調子になってしまう。

自分としてはあまり気持ちが乗らず、無理して歌っている感じがして、だんだん居心地が悪くなってしまった。
   

彼氏はどうかなと思って隣を見ると、熱心に歌おうとしている。

ここはもう少し我慢しなきゃいけないなと思ったが、残念ながら不機嫌な顔になってしまった。
   

 たまたま集まった人たちと一緒に、さあ歌いましょうと言われて歌って楽しめるほど、精神的なゆとりというか包容力がなく、まだまだ幼かったのだろう。

   

「うたごえ喫茶」は、まだあるらしい。

もし今行ったら、あの頃よりリラックスして楽しめるかもしれないと思う。

   

コメント

  1. より:

    改訂版「うたごえ喫茶」拝見しました。
    初版は「終戦っ子」さんらしさが感じられて楽しく親しみを覚えます。改訂版は解説が加わり興味深いです。

    うたごえ喫茶ではなぜロシア民謡なのか?
    シベリア抑留での影響が想起されます。
    また、集団で歌う際、各自の音程・リズムに寛容なのは御詠歌や声明の下敷きに、明治時代に唱歌・軍歌が加わった影響かと思います。

    陸海軍での「軍歌演習」は甲乙2隊に分かれて一節ずつ交互に歌い、さらに歌いながら分列行進したそうです。
    2隊に分かれて対面歌唱するのは万葉時代の歌垣にも繋がるのかと思います。

    • tamichat より:

      ゆ さま

      「終戦っ子」へのご理解あふれるコメント、とても嬉しく拝見しました。
      共感してくださる方がいらっしゃると、勇気が出ます。

      軍隊のお話や、万葉時代のお話など、豊かな学識をお持ちで頭が下がりました。
      また、シベリア抑留のことまで考えが及ばず、ただ思いのままに書いてしまったことを恥ずかしく思います。
      私も、もっと勉強して記事を書かねばと思いました。

      今後ともよろしくお願いいたします。
      ありがとうございました🙂

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