1年生の頃は、宿題というものの記憶がほとんどない。
記憶にある宿題の一つは、夏休みの絵日記だ。
近くで盆踊りが行われた夜、見に行こうということになり、
どういういきさつだったか忘れたが、シミーズ(女の子の下着、スリップとも言った)で出かけた。
母の「夜だからわからないでしょ」といういい加減な発想で。
それをそのまま絵に描き、「シミーズで行きました」と書いた。
母はそれを見て、さすがに苦笑いした。
もう一つは冬休みの宿題だ。
冬休みはクリスマスやお正月があって、宿題をする雰囲気ではない。
始業式の前日にやっつけたが、できないものがあった。
「雪だるま」を作る工作だ。
厚紙に雪だるまを描いて切り抜き、立つように後ろについたてのようなものをあてがって台紙に貼り付ける、というものだった。
今思えば簡単だが、そのときの私にとってはどうやって作ったらいいのかわからず、ぼんやりしていた。
母が「〇〇ちゃん(母の弟)が作るから、もう寝なさい」と言ったので、寝た。
翌朝起きると、「いいのができてるわよ」と母が言った。
ものすごく立派な雪だるまができていた。
立体的に作られていて、本物の雪だるまのように、周りはふわふわした綿のようなもので覆われていて、後ろのついたてなどなくても、ちゃんと台紙に立っている。
うれしくて、意気揚々と学校に持っていった。
みんな驚いた。
「これ、自分で作ったの?」と周りに集まってきた。
特に返事もせず、ただニコニコしておいた。
先生も「これはいいねえ」と言った。
問い詰めたりしなかった。
母は、私が中学生になっても夏休みの美術の宿題をやってくれた。
私は絵を描くのが下手なので私が描くのを見て、「ちょっとかして、私が描くから」と上手に描いてくれた。
学校に持っていくと、美術の先生は「これはよく描けてるねえ」とみんなに見せた。
内心ホクホクだった。
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