そのころ流行っていた遊びに、足でじゃんけんするものがあった。
足を左右に開くと「パー」、前後に開くと「チョキ」、閉じると「グー」だ。
今でも同じ遊びがあるかもしれないが、どんな掛け声でそれをするかは違っていると思う。
当時、パーは「ハワイ」、チョキは「ちんぼつ」、グーは「ぐんかん」だった。
「ぐんかん、ぐんかん、ハワイ」「ハワイ、ハワイ、ちんぼつ」などと、掛け声をかけながらする。
いつものようにそれをしていると、「それ言っちゃいけないんだよ」と友だちに注意された。先生が禁止したという。
「どうして?」と、その理由は全く分からなかった。
「パールハーバー」のことや、この掛け声が不謹慎であることは、後に知った。
ほかにも、手まり歌として次のようなものがあった。
一列談判破裂して
日露戦争始まった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
御門の兵を引き連れて
6人残して皆殺し
七月八日の戦いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロバトキンの首を取り
東郷大将万々歳
錦の旗も万々歳

今歌ってみれば、とんでもない歌である。これも学校で禁止された。
その代わりに「1」は何だったか忘れたが、「2」は「にいたかドロップ美味しいな」、「3」は「3月3日はひなまつり」……と超無難な歌詞で歌うように教えられた。
私たちは、この歌はつまらないね、一列談判破裂してのほうが面白いね、と言いながら、まりつきをしたものだ。
戦後8~9年ほどたっていたと思うが、まだ生活の端々に、戦争や軍国主義の名残が見られた時代である。
子どもは、その意味をよく知らなかった。それも考えてみれば怖いことだ。
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