当時、お米にはいろいろな種類があった。
といっても「コシヒカリ」とか「ひとめぼれ」とかの種類ではない。
配給米、ヤミ米、内地米、外米などの種類である。
各家庭には米穀通帳というものがあり、預金通帳のような形をしていた。
それが何のために必要なのかはよく知らなかったが、おそらく食糧難の時代に、お米を国民にできるだけ平等に分ける必要があったのだろう。
しかし、政府が管理する配給米だけでなく、民間ではヤミ米というものも流通していたらしい。
母が「じゃあ、米穀通帳を持っていけばいいんですね」などと確認しているのを聞いたことがあるから、お米関係だけでなく、身分証明書のような役割もあったのではないかと思う。
自分の家がいつ配給米を食べていて、いつから自主流通米になったのか、などはよくわからないが、父が「この飯はまずいな。外米じゃないのか?」などと言っていたのを思い出す。
外米とは要するに輸入米のようなものだ。
時々、知り合いの家に行くと、そこでお母さんやおばあさんが新聞紙などの上にお米を広げて、石とか汚いお米をより分けていたのを覚えている。
米離れということをちょくちょく聞くが、米ほどありがたい食料はないのではないだろうか。

いつか、アフリカの飢餓の子どもたちのことをテレビで見たときのこと。
そこで救援活動をしている方が
「みな栄養失調でガリガリに痩せて、皮膚病になっていたり、おなかが悪くなったりしているが、おもゆを飲ませると、どんどん良くなるんですよね」、と言っていたのを思い出す。
米は大切だ。
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