うちにテレビが来たのは中学生になってからだ。
それからは、テレビっ子の道を邁進した。
もし生まれた時からテレビがあったら、あんなに本を読まなかったかもしれない。
日本の番組で楽しみに見ていたのは「事件記者」だ。
やまさん、べーさん、あらさん……とか懐かしい。
「バス通り裏」もよく見ていた。
十朱幸代さんがとても若かった。
たしか駆け出しの頃の岩下志麻さんが出ていたように思う。
そのころは日本で製作したテレビ番組が少なかったのか、アメリカから輸入した番組がとても多かった。
ハイウェイ・パトロール、ローン・レンジャー、アイ・ラブ・ルーシー、ペリー・メイスン、ヒッチコック劇場……、いくらでも思い出す。
その中で、日本中の家庭が見ているんじゃないかと思われたホームドラマが、「パパは何でも知っている」(原題 Father Knows Best)。
ベティ、バド、キャシーという3人の子どもがいる、おそらく普通の庶民家庭を描いたホームドラマだった。
このドラマを通して、アメリカの一般的な生活というものを身近に見ては「うらやましいなあ」と思ったりしたものだ。
学校に行くと、前日に見たテレビのことをみんなで、ああでもない、こうでもないとおしゃべりするのが常だった。
もっとも、これは女子だけのことだったのかもしれないが。
また、その当時は西部劇全盛で、ガンスモーク、拳銃無宿、ララミー牧場、ローハイド、幌馬車隊、アラスカ魂、などさまざまなものがあった。
そのほか、サンセット77、フォロー・ザ・サン、マーベリック、カメラマン・コバック……、あとからあとから出てくる。
特に熱心に見ていたのが、ララミー牧場とローハイド。
ララミーは、番組終了後に淀川長治さんが、撮影の解説や俳優の話を、あの独特の語り口で話すのが面白く、最後の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」が名物だった。
感慨深いのは、
ローハイドのロディ役で出ていたクリント・イーストウッドが、ものすごく偉くなったことや、
拳銃無宿のスティーブ・マックイーンや、
カメラマン・コバックのチャールズ・ブロンソンが、
後にハリウッド映画で大活躍するようになったことである。
Rollin’rollin’rollin’…… 注 と始まるローハイドは毎週欠かさず見た。
高校入試の前日もきっちり見たし、この主題歌も歌詞を覚えて歌ったなあ……。
これらはすべて白黒テレビで見た。
うちにカラーテレビが来たのは東京オリンピックからだ。
注「Rawhide」作詞 Ned Washington
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