昔、私の住む地域に「読書会」と言うものがあった。
それは読書をする会ではなく、雑誌をある家庭に届け何日かすると、それをまた次の家庭に届けて回覧していくというシステムだった。
うちは、まだ子どものために雑誌を定期購読する余裕がなかったのかもしれない。
「小学三年生」とか「小学四年生」という雑誌を月に一度、読書会のおじさんが自転車で届けてくれるのだ。
それはとても楽しみだったが、本体だけで付録はついてこない。
たまに漫画の続きが付録になっていることがあり、そうすると続きが読めないという、とても残念なこともあった。
後に、うちも少し経済的な余裕ができたのか、雑誌をとってもらえるようになった。
「少女」という雑誌だ。
表紙は松島トモ子ちゃんだった。
ちなみに少女雑誌は「少女」のほかに「少女ブック」「少女クラブ」「なかよし」というのがあり、
「少女ブック」の表紙は鰐淵晴子さん、
「少女クラブ」は渡辺典子さん、
「なかよし」は小鳩くるみさんだったと思う。
また貸本屋というものがあり、それは時々行くお風呂屋さんの向かいにあった。
お風呂の帰りにそこに寄り、見繕って借りてくる。
当時、本を読むことが何より好きで、そこの常連だった。様々な本を借りた。
今でも心に残っているのは……
「若草物語」「八人のいとこ」「小公女」などの少女文学系
「エジソン」「白瀬中尉の探検記」「キュリー夫人」といった伝記もの
胸躍らせて読んだ「紅はこべ」「ゼンダ城の虜」や「怪盗ルパン」のシリーズ
謎めいた「秘密の花園」
少し大人っぽい「ステラ・ダラス」
男らしさとはこういうものかと思わされた「隊長ブーリバ」などなど
いわば世界名作全集という感じのラインアップだが、そのなかに、濱田廣介や宮沢賢治の童話もあった。
それまでその存在は知らなかったが、たまたま面白そうだと手に取った。
童話は西洋のものと思い込んでいた私は、日本にもこんな素敵な童話があったんだと大発見した気分だった。
小学生の間はずっと本を読み漁った。
4年生の夏休み、久しぶりに母の里に滞在した。
そこに母が女学生のときに読んだ全集物の本がどっさりあるのを発見し、それをあちこちつまみ食い的に読んだ。
文字が小さい上に旧仮名遣いで読みにくかったが、私が貸本屋などで借りてきた本とは一味違っていた。
例えば内容は確かに「シンデレラ」なのにタイトルは「灰かぶり娘」となっていたり、
「石の花」とか「イワンのバカ」とか「真夏の夜の夢」とかちょっと難しいものが多かった。
その中で強烈な印象をもったものが、「青髭」だ。
七人目の妻である主人公の女性に、夫「青髭」が遠出をする時に「絶対に開けてはならぬ」と渡された開かずの間の鍵。
どうしても開けてみたくなり、禁を破って開けてしまうのだ。
そこで彼女は恐ろしい光景を目の当たりにする。
最後はハッピーエンドなのだが、こんなに怖い本を読んだのは初めてだった。
6年生のとき、母に勧められてパール・バックの「大地」を読んだ。
実に面白かったと記憶しているが、中でも忘れられないシーンがある。
なにか飢饉のようなことが起こり食べ物にもこと欠くなか、動乱かなにかに乗じて王龍の息子が肉をくすねてくる。
王龍は、息子が卑しいことをしたと激怒して、その肉を投げ捨ててしまう。
すると妻の阿蘭が静かに肉を拾い「肉は肉です」と言うのだ。
子ども心に感動してしまった。
高学年になると、本を読んだとき単にストーリーの面白さだけでなく、登場人物の人間性などを深く感じ取るようになる。
そういうときに読んだ「愛の妖精」(ジョルジュ・サンドのLa Petite Fadetteの翻訳)は、とても好きな小説だった。
子どものとき、醜くて意地悪で毒舌家のファデット。
しかし本当は賢く、心の優しい細やかな感受性の持ち主なのだ。
娘になり、見違えるように美しくなるファデット。
ファデットを自分に重ねて読んでいた。
そしてファデットのような女の人になりたいと強く思った。
読書というものは、ほかのいろいろな記憶とともに、アイデンティティーの構築に大変重要な役割を果たすものなのだと思う。
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