第70話 パパは何でも知っている

Before going to work 思春期

   
 うちにテレビが来たのは中学生になってからだ。

それからは、テレビっ子の道を邁進まいしんした。

もし生まれた時からテレビがあったら、あんなに本を読まなかったかもしれない。
   

   

 日本の番組で楽しみに見ていたのは「事件記者」だ。

やまさん、べーさん、あらさん……とか懐かしい。
   

「バス通り裏」もよく見ていた。

十朱幸代さんがとても若かった。

たしか駆け出しの頃の岩下志麻さんが出ていたように思う。

   

 そのころは日本で製作したテレビ番組が少なかったのか、アメリカから輸入した番組がとても多かった。

ハイウェイ・パトロール、ローン・レンジャー、アイ・ラブ・ルーシー、ペリー・メイスン、ヒッチコック劇場……、いくらでも思い出す。

   

 その中で、日本中の家庭が見ているんじゃないかと思われたホームドラマが、「パパは何でも知っている」(原題 Father Knows Best)。

ベティ、バド、キャシーという3人の子どもがいる、おそらく普通の庶民家庭を描いたホームドラマだった。

   

このドラマを通して、アメリカの一般的な生活というものを身近に見ては「うらやましいなあ」と思ったりしたものだ。

学校に行くと、前日に見たテレビのことをみんなで、ああでもない、こうでもないとおしゃべりするのが常だった。

もっとも、これは女子だけのことだったのかもしれないが。
   

カウボーイ

   

 また、その当時は西部劇全盛で、ガンスモーク、拳銃無宿、ララミー牧場、ローハイド、幌馬車隊、アラスカ魂、などさまざまなものがあった。

そのほか、サンセット77、フォロー・ザ・サン、マーベリック、カメラマン・コバック……、あとからあとから出てくる。

   

 特に熱心に見ていたのが、ララミー牧場とローハイド。

ララミーは、番組終了後に淀川長治さんが、撮影の解説や俳優の話を、あの独特の語り口で話すのが面白く、最後の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」が名物だった。

   

Rawhide Opening and Closing Credits and Theme Song ローハイド

   

 感慨深いのは、

ローハイドのロディ役で出ていたクリント・イーストウッドが、ものすごく偉くなったことや、

拳銃無宿のスティーブ・マックイーンや、

カメラマン・コバックのチャールズ・ブロンソンが、

後にハリウッド映画で大活躍するようになったことである。

   

Rollin’rollin’rollin’…… と始まるローハイドは毎週欠かさず見た。

高校入試の前日もきっちり見たし、この主題歌も歌詞を覚えて歌ったなあ……。
   

これらはすべて白黒テレビで見た。

うちにカラーテレビが来たのは東京オリンピックからだ。
   

注「Rawhide」作詞 Ned Washington

   

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