昭和こぼれ話1 「外人」

Kinderdijk 昭和こぼれ話

 
 父方の祖父のところにいた頃、B.Lさんというおじさんがオランダからやってきた。

祖父の友人である。

彼は単身で、あるいは奥様を連れて、ちょくちょく祖父のところに来ていたようだ。

祖父は「B」とファーストネームで呼んでいたので、私たちも「Bさん」と呼んでいた。

   

 祖父とBさんの関わりは少し複雑だ。

祖父は戦前、ジャワ(今のインドネシア)の領事をしていたことがある。

ジャワにあるオランダの会社に勤めていたBさんは、奥様が日本人であることから苦労され、

そこを祖父母がいろいろお世話をしたことで親しくなったということだ。

   

 Bさんは、祖父が、未だ独身の長男(私の父)のお嫁さんを探していることを知り、

お知り合いのそのまたお知り合いとたまたまつながりのあった母方の祖父に、年頃の娘(私の母)がいることを知り、

この二人を結び付けたらよかろうと、話がまとまったらしい。
   

そういうことでBさんが仲人となって、私の父と母は結婚したのだ。

結婚式は、日本が既に太平洋戦争に突入していた時期、神戸の教会で行われた。

よくそんなときに、そんな結婚式ができたものだなあと思う。

   

 話がだいぶそれてしまったが、祖父の家で初めてBさんに会った日の翌日、隣の家の女の子から

「昨日、あなたのうちに外人が来てたでしょ」と言われたのだ。

この「外人」という言葉が胸に突き刺さった。

(外人じゃなくて、Bさんよ)と心の中で思ったが、言い返せなかった。
   

なぜか私は、Bさんと共に、この言葉一つでさげすまれたような気持がした。

「外人」という言葉には、排他的な得体えたいのしれないもの、という見方がひそんでいるように思う。

   

 
 Bさんは祖父が亡くなった後も、私たちの家をたまに訪れた。

お土産はいつも、ジンジャー入りのクッキーと、良い香りのする石鹸だった。
   

Bさんは優しいおじさんで母をとても可愛がっており、父とは英語で話していたようだが、私や妹には片言の日本語で話しかけた。

奥様は恰幅のいい方で、毛皮のコートを着ているその姿を見て父は、お帰りになったあとで「熊みたいだったな」と言っていたのを覚えている。

   

 ところで、「外人」という言葉は、今ではほとんど死語になっているようだ。

これはよいことだと思う。

   

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