「菩提樹」の感動も冷めやらぬまま、季節は春の息吹を感じさせる頃となり、担任の先生たちは、卒業式に向けての準備に余念がなかった。
今は卒業式のやり方にもいろいろと趣向を凝らしたりして、型にはまらない個性的な式が増えているようだ。
しかし当時は、卒業生の代表が答辞を読むといった、儀式的な色彩が強かったと思う。
私たちの担任団は、「表現」ということに熱心だったので、いわゆる答辞は、「よびかけ」という形で行うことになった。
「よびかけ」というのは今もあるかもしれないが、全員が舞台に上がり、長い散文詩のようなものを全員で発声するコーラス部分と、一人が発声するソロ部分とで構成されている。
要は集団で行う詩の朗読のようなものである。当時は学芸会の演目に必ずこの「よびかけ」が入っていたものだ。
わたしはこの「よびかけ」なるものがあまり好きではなかったが、やる以上は一生懸命やろうと思った。
まず先生方は、みんなに小学校生活の思い出を作文に書かせ、その中からこれはと思う部分をピックアップしてつなげ、長い詩のような形にする作業を行った。
私のクラスの担任の先生は、若いころ小説家志望だったとのことで、このような作業はむしろ楽しかったかもしれない。
そして出来上がったものをみんなに覚えさせ、何回も練習した。
担任団は、素晴らしい式にしようと演出にこだわり、卒業生の入場曲に、エルガーの「威風堂々」を選んだ。
いまでこそあちこちで始終聞かれる曲となっているが、当時はそれほどポピュラーではなかった。
私はこの「威風堂々」がとても気に入った。
先生は、曲のどの部分になったら入場していくかにこだわっていて、たくさん練習させられた。
いよいよ卒業式当日となった。
私たちは大勢の参列者が見守る中、マーガレットの花を胸につけ、「威風堂々」に乗り、厳かに入場していった。

そして答辞の「よびかけ」が始まった。私はその口火を切る役だった。
BGMが流れ始める。
先生が舞台の裾にかくれながら、「ここだぞ!」と言う風に全身で合図するのが見えた。
それっ、とばかりに斜め上を指さして、「3月の空!」と発声した。
その後に、みんなのコーラスが続く。
しばらくして、私のソロの番になった。内容は臨海学校の思い出だった。間違えずに言えてホッとした。
コーラスとソロの掛け合いが続き、「よびかけ」は無事終了。卒業式も滞りなく終わった。
思えば、太平洋戦争が激化した戦争末期、防空壕で生まれた子もいる、生まれてもすぐ死んでしまった子もいる、そもそも生まれてくることができなかった子もいる。
そのような中に生まれてきて、様々な辛苦をもって大切に育てられた私たち。
参列していた人々は、よくここまで無事に育ってくれた、と感慨もひとしおだったに違いない。
散りかけた桜の木の下で、私は長かった小学校生活を終えた。
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