同じクラスにKちゃんという友だちがいた。
みんなが分かることが分からなかったり、みんなと同じことができなかったりする女の子だった。
ふだんはいろいろな場面で、ややみそっかすのような存在だった。
Kちゃんのうちは時計屋さんだった。
あるとき先生は、時計について勉強するということで、Kちゃんのお兄さんを講師として招いて授業を行った。
いろいろな時計の仕組みなどを分かりやすく説明してくれて、面白い授業だった。
お兄さんがみんなに何か質問をした。
すると、Kちゃんが手を挙げて答えたのだ。
みんなは驚きと喜びで拍手をした。
「さすがー、時計屋の娘だぞー」と男の子が大きな声で称賛した。
この日はKちゃんが輝いて見え、主役だった。
当時はクラスに、大多数の子どもたちとは違っている、様々な個性を持つ友だちがいた。
私もその一人かもしれないが。
お互いにその個性を分かりあって、一緒に学校生活を送ることが、何の不自由も不都合もなく、ごく当たり前で自然なことだった。
今は、みな同じようでないと外されてしまいがちで、生きづらくなっているようなのだが、それは残念なことである。
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