同居していた叔父は、子どもが大好きな人だった。
自分たちには子どもがいなかったので、私をとても可愛がってくれた。
お風呂にもよく入れてもらっていたことを思い出す。
叔父はその当時、今より幅を利かせていた共産党の党員だった。
5月1日のメーデーの集まりに、私を連れていくという話になった。
私はわからないままに、何か楽しいことなのかもしれないと思って、行くことになった。
叔父は私を自転車に乗せたのだが、その乗せ方が、今では考えられないやり方だった。
自転車のサドルの前からハンドルの方に渡してあるパイプ(トップチューブというらしいが)に座布団をくくりつけ、
そこに私をまたがらせ、手はハンドルの真ん中あたりを握らせて、それで走っていくというものであった。
今だったら、そんな乗り方をさせていると警察に捕まるだろう。
初めはよかったが、だんだん股が痛くなり、我慢に我慢を重ね、極限まで我慢したところで目的地に着いた。
そこからメーデーの行進をしたのだ。
意味わかんなーい、という気持ちで歩かされ、まわりの大人たちは笑顔で私に話しかけてきて、なぜかみかんをくれたのを覚えている。
季節外れだが……。
そのうち叔父は、私を肩車して歩き始めた。
これまたありがた迷惑というか、不安定で居心地が悪く、とにかく早く終わってほしい気持ちでいっぱいだった。
難行苦行の末、やっと帰宅した。
楽しいどころか、苦痛の経験だったにもかかわらず、
メーデーの行進で大人たちが歌っていた歌を、部分的にまねて「プロレターリアー!」などと叫んでいたので、
両親はおそらく「たのしかったのね」と勘違いしたことだろう。
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