小学校に上がるという時になって、私と妹と母はそれまで暮らした東京を離れ、兵庫県の母の里に移ることになった。
父は終戦で会社がなくなり、今で言えばベンチャー企業のような、いろいろなことをやろうとしていたが、どれも失敗した。
なかなか生活の見通しがつかず、母方の祖父が、生活の目途が立つまで私たちを預かると言ったのだ。
会社が軌道に乗ったら、私たちを迎えに来るようにと。
「おとうちゃまは行かないの?」と事情が分からないままに、東京駅から特急つばめに乗ってホームを離れた。
そのころ特急つばめでも、東京・大阪間は9時間かかった。
大阪に着くと、母の弟が迎えに来ていたが、私は恥ずかしがって母の後ろにかくれた。
大阪から阪急電車で母の里へと向かった。
母の里には祖父母と、曽祖父、それに母の妹や弟がたくさんいた。
いわば大家族であった。
母は長女なので、みんなから「おっきねえちゃん」と呼ばれていた。
「おっきねえちゃん」は大きいねえちゃん、つまり上のお姉さんという意味だ。
「おっきねえちゃん」はかなり威張っており、みなから一目置かれる存在だった。
母が美容院に行って帰ってくると、
「べっぴんやなあ。エリザベステーラーみたいや」とお世辞を言われていた。
みな陽気でよく笑っていた。
関西弁は、東京の言葉と違ってやわらかい。
「早くしなさい」ではなく「はよう」とか「はよしい」などというし、「買ってきた」ではなく「こうてきた」と言う。
関西弁の響きと、陽気でやさしい大人たちに囲まれ、それまで幼いながらに、なんとなく緊張や不安が多かった生活から、安全地帯に入り込んだような感覚があった。
そんな中でよく聞こえてきたのが、あのグレンミラー楽団のムーンライト・セレナーデだ。
ゆったりとしたリズムと優しいメロディーに包まれ、生活のすべての角がまるくなっていくような、うっとりとして眠くなるような……。
なんていい曲なんだろう。
今も、たまにあの曲を聞くと、心地よいゆりかごで子守唄を聞いているような、懐かしい気持ちでいっぱいになる。
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