あのころ暖房はどうなっていたんだろう。
部屋にあったのは、こたつと火鉢だけだった。
板の間だと火鉢しかなかった。
こたつの中には炭火が入っていた。注1
夜寝るとき、こたつのやぐらの上に、翌朝着る下着を載せて寝たものだ。
すると、朝、温かく着ることができる。
火鉢をテーブルの下に置いて、その上に足を載せて温まったりした。
もちろんこれは東京の話だが、それにしても、あれでよく冬が越せたなあと思う。
そういえば昔の方が厚着だったかもしれない。
うちでは上記の暖房器具に電気ストーブが加わったが、たいして暖かくなかった。
そのうち画期的なものが登場した。アラジンという名の石油ストーブだ。
これは今までの物に比べ、ダントツに暖かかった。
一時このアラジンは、全国的に普及したように思う。
しかし灯油を入れる手間と、どうしてもあの石油くさいにおいが全くないというわけにはいかなかった。
我が家では使うこともなくなったが、店先などで見かけると、あの独特のにおいに懐かしさを感じる。
私が通った中学校では、まだ石炭ストーブが置いてあったと記憶している。
うちでは、石油ストーブにガスストーブが取って代わり、それはガスファンヒーターとなり、エアコンへと変わった。
一方、夏はどうなっていたのか。
扇風機とうちわである。
それで酷暑がしのげたのか、今なら熱中症で死んじゃうじゃない、と言われそうだが、そんなことはなかった。
東京で最高気温35℃に達する日もあったようだが、命の危険を感じるような暑さが毎日のように続くことはなかったと思う。注2
30℃になると母が、
「今日は30度あるから帽子かぶって行きなさい」とか
「日傘さして行きなさい、日射病になると大変よ」などと言ったものだ。
当時は熱中症という言葉は聞かれず、それに相当するものとして、日射病と言っていた。
それに、マンションなどはないに等しく、日本家屋で、周りには今より空間があり、庭木などが多く涼しかったのだ。
電車やデパートは、冷房が入っていてとても涼しかったが、古い映画館にはなく、扇子で煽ぎながら観たものだ。
エアコンの涼しさを家庭でも手に入れ始めたのが、1970年以降だったように思う。注3
「エアコン」ではなく、「クーラー」と呼んでいた。
今、エアコンなしではとても夏がしのげない。
便利になったような、不便になったような。
注1 東京消防庁「住宅で起きる一酸化炭素中毒事故に注意!」
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/lfe/topics/201411/co.html
参考 千葉県立中央博物館 大利根分館【Web版 むかしの道具展】「81.おきごたつ【置炬燵】」
https://www.chiba-muse.or.jp/OTONE/dougu/sumu-37.html
注2 気象庁 東京 1959年8月(日ごとの値)
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=44&block_no=47662&year=1955&month=8&day=&view=
気象庁 過去の気象データ検索
https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php
注3 帝国書院「耐久消費財の世帯普及率の変化」
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index13.html
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