昭和こぼれ話 10「接待」から思い出したジェットコースター

roller coaster 昭和こぼれ話

    
 ひところテレビのニュースショーをにぎわしていたことの一つに「接待」がある。

会社と利害関係のある省庁の役人を接待して、有利な計らいをしてもらうというものだ。

   

 中学生のとき生徒の名簿が配られたが、なぜかそこに家の職業を書く欄があった。

今なら個人情報で、あり得ないと思うが。
   

父はそれを見ながら、「お、保線課長がいるぞ」と色めき立っていた。

父の会社は、線路の枕木に使う部品を作っていた。

国交省(その頃は運輸省といった)の保線課長というのが、かなり利害関係の深い役人だったようだ。

「挨拶しといたほうがいいかな」と冗談交じりに言っていた。

   

 役人への接待とは違うが、取引がある会社同士の接待もある。

その中で、野球や相撲観戦の招待もあった。

時々両親が、相撲や野球を観に行ったりしていたことを思い出す。

野球はネット裏の一番いい席だったようだが、母はあまり興味がなかったようで、迷惑そうだった。

もったいないことだ。
   

相撲観戦から帰ってくると、お土産が多いのにびっくりしたものだ。

その中に大きい湯のみ茶碗があった。

力士の名前が書いてある奴だ。
   

   

 そのようなものの中の一つで後楽園の入場チケットがあり、母と妹と3人で行った。

当時、今で言うところの絶叫マシーンが、いち早く取り入れられたのが「後楽園ゆうえんち」である。

その日は7月14日、パリ祭ということで特別なもよおしになっていたのか夕方から出かけ、かなり遅くまで楽しんだ。

   

 そのとき初めて乗ったのが、ジェットコースターだ。

どんなものだかワクワクしながら乗った。

初め、コースターが、落下する山の頂上まで登っていく。

夜空に星がたくさん見えた。

「空に昇っていくみたいね」と母が楽しそうに言った。
   

そして、あのジェットコースターの疾走が始まった。

カーブするとき、外側に飛び出しそうになる恐怖がスリル満点で、「キャーッ!」と叫びつつ、面白くてたまらなかった。

それ以来、ジェットコースターが大好きになった。
   

それは、1学期の定期試験がちょうど終わった日だった。

夜遅く帰って疲れて翌日寝坊し、学校に遅刻していったことを覚えている。
   

 今どきのジェットコースターは、恐怖感も半端じゃない、ものすごいのが流行っているようだ。

私は年齢と心臓のせいで、もう乗れないだろう。

   

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