ひところテレビのニュースショーを賑わしていたことの一つに「接待」がある。
会社と利害関係のある省庁の役人を接待して、有利な計らいをしてもらうというものだ。
中学生のとき生徒の名簿が配られたが、なぜかそこに家の職業を書く欄があった。
今なら個人情報で、あり得ないと思うが。
父はそれを見ながら、「お、保線課長がいるぞ」と色めき立っていた。
父の会社は、線路の枕木に使う部品を作っていた。
国交省(その頃は運輸省といった)の保線課長というのが、かなり利害関係の深い役人だったようだ。
「挨拶しといたほうがいいかな」と冗談交じりに言っていた。
役人への接待とは違うが、取引がある会社同士の接待もある。
その中で、野球や相撲観戦の招待もあった。
時々両親が、相撲や野球を観に行ったりしていたことを思い出す。
野球はネット裏の一番いい席だったようだが、母はあまり興味がなかったようで、迷惑そうだった。
もったいないことだ。
相撲観戦から帰ってくると、お土産が多いのにびっくりしたものだ。
その中に大きい湯のみ茶碗があった。
力士の名前が書いてある奴だ。
そのようなものの中の一つで後楽園の入場チケットがあり、母と妹と3人で行った。
当時、今で言うところの絶叫マシーンが、いち早く取り入れられたのが「後楽園ゆうえんち」である。
その日は7月14日、パリ祭ということで特別な催しになっていたのか夕方から出かけ、かなり遅くまで楽しんだ。
そのとき初めて乗ったのが、ジェットコースターだ。
どんなものだかワクワクしながら乗った。
初め、コースターが、落下する山の頂上まで登っていく。
夜空に星がたくさん見えた。
「空に昇っていくみたいね」と母が楽しそうに言った。
そして、あのジェットコースターの疾走が始まった。
カーブするとき、外側に飛び出しそうになる恐怖がスリル満点で、「キャーッ!」と叫びつつ、面白くてたまらなかった。
それ以来、ジェットコースターが大好きになった。
それは、1学期の定期試験がちょうど終わった日だった。
夜遅く帰って疲れて翌日寝坊し、学校に遅刻していったことを覚えている。
今どきのジェットコースターは、恐怖感も半端じゃない、ものすごいのが流行っているようだ。
私は年齢と心臓のせいで、もう乗れないだろう。
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