父は私を連れて出かけたがった。
当時、新宿駅の周りの、せまっ苦しい路地のようなところに、ごたごたと店が並んでいるようなところがあった。
バラックと呼ばれる建物が、密集していたような光景をぼんやり覚えている。
そんなところに父の行きつけの飲み屋があり、そこに連れて行かれたのだ。
子どもが行くような場所ではないことを感じつつ、カウンターのようなところの椅子に座らされ、まことに居心地が悪かった。
そこの店主らしきおばさんは、父と懇意らしく、二人でおしゃべりに余念がなかった。
おばさんはその合間にしきりにお愛想を言い、いろいろ話しかけてきたが、
不快感でいっぱいだった私は、最低限度の返事しかしなかった、と思う。
おばさんは「おとなしいわねえ」と言う。
(いや、口ききたくないだけ)
そのうち、不機嫌そうなのを見て
「おなかすいてるんじゃない?オムレツつくってあげようか」と言う。
(不愉快なだけ、おなかすいてない)
やがて、子どもの目にはでっかいオムレツが、目の前に登場した。
私はほんのちょっと手をつけただけだった。
「お嬢はお気に召さないようだ」と言う。
(早く帰りたいだけ、おなかすいてないし)
こんな風に、大人というものは子どもの気持ちを勝手に決めてしまうものだ。
帰り路は夜も更けて、家の近くは真っ暗だった。
あんなに帰りたかったのに、近くの公園を通りかかると、「ぶらんこに乗る」と父に言った。
父は「乗っておいで」と言った。
誰もいない、真っ暗な公園でぶらんこに座り、こいでいると、父が「立って乗ってごらん」と言う。
恐る恐る立ってこごうとしたが、すぐ怖くなって座った。
すると父は「いくじなし」と言った。
「いくじなし」
この言葉は小さな子どもの心にひびき、情けない気持ちになった。
しかしどうして、もう誰もいなくて真っ暗なのに、ぶらんこに乗りたかったのだろうか……。
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