高校の修学旅行は北海道だった。
北海道には行ったことがなかったから、修学旅行先が北海道だと聞いて、この学校を選んだ。選択の基準がおかしいかもしれない。
この旅行は2年生の時に実施された。2年だから、修学ではないだろうということで、違う名前がついていたような気がするが、忘れてしまった。
新幹線も青函トンネルもない時代。上野発の夜行列車に乗り込んだ。
列車で一晩明かすわけだが、なぜか女子は着替えさせられた。
貸し切り列車のトイレ前や、デッキのあたりを更衣室にして、順番にズボンとポロシャツに着替えた(当時はTシャツという概念がなかった)。
女子が制服で寝るとなにか不都合な点でもあったのだろうか?
夜行の座席で寝るというのは難しい。
乗り物で居眠りはできるのに、夜、正式に寝ようとなると、容易なことではない。
せいぜい寝たふりをするのが関の山だ。
早朝の青森に着いたときは眠かった。
6月だったので、津軽海峡は雪景色ではなかったが、小学生の時、竹芝桟橋から船に乗って、千葉の保田まで臨海学校に行った時とは違って、なんとなく寂寥感があった。
青函連絡船に乗るに当たって不安なことがあった。
小さい時に見聞きした、洞爺丸の悲劇も頭にあったが、心配なのは船酔いだった。
以前、船に酔ってえらい目に遭ったのだ。車酔いとは段違いに気持ちが悪い。
甲板は寒かったので、船底の畳の部屋で友だちとごろごろした。寝っ転がっていると、揺れるたびにぐらぐら振られて、体が安定しない。結局座った。
心配したほど船酔いもなく、無事、函館に到着。
初めの宿泊場所は函館ではなく、定山渓だったと記憶している。
10日間ほどの北海道旅行が始まったのだが、詳細は続編として次回に書くつもり。・・to be continued
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