第53話 お豆腐屋さんのラッパ

tofu shop学童期(東京編)

   
 思い出してみると、小学校の4年生ぐらいまでは、熱を出したりして病気になると、お医者さんが家に来たものだ。往診である。

それが普通だったような気がする。当時のお医者さんは、そんなに忙しくなかったのだろうか。

   

 往診のときは、母が洗面器に水を入れて持ってきてタオルとともにおき、診察が終わると、お医者さんがそこで手を洗う。

今考えてみると、あまり衛生的ではないような気がする。

   

 また、「御用聞き」と言うシステムがあり、うちにはもっぱらお肉屋さんが御用聞きに来た。つまり注文を取りに来るのだ。

「合い挽き100もんめの略)」などと母が言うと、御用聞きのお兄さんが、鉛筆をなめなめ伝票にそれを書く。
   

当時、お店屋さん関係では、まだ尺貫法が使われていた。

100匁は、今で言えば400グラム弱と言ったところだ。

私は昔から、いろいろな職業の人が行う作業に興味があり、その鉛筆で伝票に注文の品を書くという作業が、やってみたくてしかたなかった。

   

魚も、母が電話で「今日お惣菜にするもの、なにかある?」などと聞いて注文して届けてもらったりしていた。

魚屋さんを全面的に信用しているわけであり、悠長な時代だった。

   

 豆腐は、お豆腐屋さんが自転車で売りに来ていた。ラッパを吹きながら、自転車をゆっくり走らせて来る。
   

我が家の前の道路に自転車が近づいてきて、お豆腐屋さんが息継ぎのためにラッパを吹くのを止めた瞬間を狙って「おとうふやさん!」と大きな声でよび、ボールや鍋を持って駆けつける。

お豆腐屋さんが、大きな手で豆腐をすくって入れてくれる。

あの頃の豆腐は、今のより大きかったような気がするが、気のせいだろうか。

    

注 1匁=1/1000貫=3.75g

   

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