家の周りの道路に車が走ることは、めったになかった時代だ。
子どもたちは道路で遊んだ。
缶蹴りをしたり、大掛かりな鬼ごっこをしたり。
春になって桜が咲き、それが散ると、道路ははなびらでいっぱいになる。
女の子たちは、糸を通した針を持って、その花びらを突いて糸に通し首飾りを作った。
近所にアメリカ人が住んでいた。
その家の前で桜のはなびらを針で拾っていると、アメリカ人のおばさんが外から帰ってきて、私たちの様子に目を止めた。
私は怒られるのではないかと恐れた。
なにせアメリカ人のおばさんは背が高く、ニコニコしていないので怖かったのだ。
たぶん、日本人の子どもの遊びが珍しくもあり、またほほえましくもあり、
今思えば優しい気持ちで見ていたのであろうが子どもの目からは怖かったのだ。
あるときそのおばさんが、私ともう一人の女の子を、自分の家にいらっしゃいという風に招き入れた。
不安と好奇心の入り混じった気持ちで家の中に入った。
ダイニングルームのようなところのテーブルにつかされ、そこに出てきたのが グレープフルーツである。
といってもそのときまで私はそれを食べたことがなかったから、それが何であるか知らなかった。
おばさんはそれにお砂糖をふりかけ、さあどうぞという風に私たちに勧めた。
スプーンが添えられてあったが、どうやって食べたらいいのか戸惑った。
もう一人の女の子は、かたくなに食べようとしなかった。
そのとき、心にある考えが頭をもたげた。
「こんなアメリカ人のおばさんに、バカにされてたまるか!」
私はぐいとスプーンをつかんでグレープフルーツに突き刺して、すくって食べた。
おばさんは、じっとその様子を見ていた。
怖さと緊張でいっぱいだったが頑張った。
そのほかにもなにかのやり取りがあったのかもしれないが、グレープフルーツの記憶だけが鮮明に残っている。
やっと解放されて家に帰り、母に報告した。
夏ミカンのようなものが半分に切ってあるものを食べたと。
母は「どうやって食べたの?」と聞いたので、ジェスチャーを交えて伝えると、「それでいいのよ」と言った。
心の底から安堵した。
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