第111話 アルバイト

Crowded elevator 青年期

   
 初めてアルバイトを体験したのは、大学1年のときだ。

友だちのお父さんの会社に行って、5日間ぐらい簡単な封入作業のようなことをした。

大きな会社だった。

昭和40年代に入る前のことだ。

   

 このとき驚いたのは、社員の方々が 5時にはエレベーターの前に集まっていて帰っていくことだった。

こんなふうに 5時きっかりに帰れるものなのか、と。

もちろん、部署や役職によって違うのだろうけれど。

   
   

 スキーは道具にお金がかかる。

合宿の費用もある。

親に出してもらってはいけない、と先輩から教えられ、本格的なアルバイトを始めた。

2年生のとき、先輩から引き継いだ。

   

   

 その先輩は、部室に脱ぎ捨てたトレーニングウエアの上着に「これは俺のだ」、

ズボンに「これも俺のだ」とマジックで大きく書いているような人だった。

スキーはすごくうまくて、細身だけれど、めちゃ体が強いという評判だった。

   

 アルバイトは家庭教師だった。

それも小学校 2年生の男の子の家庭教師だ。

週に 3回も行った。

その子の家は会社を経営しており、ご両親とも忙しく、お子さんの相手をしてもらいたいという目的もあったのだろうと思う。

   

 とても可愛い男の子だった。

利発そうな顔で、小学2年生にしては真実を突いたようなものの見方をしていて、ちょっと生意気なことを言うのだった。

   

 初めて部屋に行くと、水槽が置いてあり、きれいな魚が泳いでいた。

「熱帯魚?」と聞くと、「ちがう、海水魚」と答えた。

「これは、ハタタテダイ、これはサザナミヤッコ・・」と名前を教えてくれた。

みな、なかなか手に入らない魚ということだった。

図鑑を見せて説明してくれた。

   

ハタタテダイ

   

 彼は、できるだけ勉強は避けたいらしかった。

宿題をするスタンスはとるが、途中でおしゃべりを始め、そのおしゃべりに私を巻き込んで、勉強をしないで済むようにしていた。

   

 彼のおしゃべりを聞くのはとても楽しかった。

恐竜に詳しくて、いろいろ教えてくれた。

また絵を描くのが上手で、恐竜の絵を緻密に描いてくれた。
   

   

 時々お父さんが様子を見に来た。

「ちゃんと勉強してるか? またポンチ絵、描いてんのか。私も昔は、ポンチ絵をよく描きましたよ」と言った。

   

「ポンチ絵」という言葉を初めて聞いた。

どうやら子どもが描く漫画のような、いたずら書きのようなものを指しているらしかった。

   

 私は、ちゃんと勉強を教えずに、ただ遊んでいるように見られて大丈夫かな、と内心ドキドキした。

これでお金をもらうのは申し訳ないし、と。

   

 今考えてみると、多少は勉強らしきこともやりつつ話し相手をすることが、この子には必要だったのではと思う。

私立の学校に通っており近所の友だちと遊ぶこともなく、二人のお兄さんもそれぞれ受験勉強で忙しかった。

寂しかったと思う。

   

 あるとき彼は、ワニを飼い始めた。

水槽に2匹入っていた。

まだ全長30センチ足らずの子どものワニだったが、その姿はしっかりワニだった。

   

エサは、生きているものじゃなければだめだということだった。

   

   

生きている金魚やドジョウをポイと投げると、それをガッとくわえる様子が、いかにもワニで怖かったが、彼は「ほら、恐竜みたいでかっこいいでしょ」と楽しそうだった。
   

大きくなったらどうするんだろうと思ったが、そういうことは考えていないようだった。

   

 この子との交流は、大学卒業まで続いた。

   

 それから5年後、私はすでに結婚していたが、この子のお母さんから電話がかかってきた。

そして彼に代わった。

すっかり声変わりして、男の声になっていた。

「高校生になりました」と。

成績がいいのだと言った。
   

今思うと、貴重な出会いだった。

   

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