大学では、なにかしらボランティア活動をすることが推奨された。
いろいろある中から先輩や友だちに誘われて、二つのボランティア活動をした。
一つは「病院奉仕」というもので、赤十字が行っているものだった。
ある大学病院へ行き、専用のエプロンをして、かごを持ち
「病院奉仕団のものです。お買い物のご用はありませんか?」
と病室を回る。
頼まれたものを買って届けるという仕事だった。
最近は病院の売店になんでもそろっているが、その頃は買い物を引き受ける必要があったわけだ。
これは 1年間ぐらい続けた。
ニーズがあまりなくなってきて、自然とやめた。
この奉仕団では、献血の奉仕もやっていた。
一般的な献血と違って、手術などで新鮮血が急遽必要になると声がかかり、できる人が行くというものだ。
一度、白血病のお年寄りのところに行って献血をしたことがある。
病院のようでもあり、療養所のようでもあるところだった。
![](https://tamichat.com/wdps/wp-content/uploads/2020/12/148d22c13d93205cd6f70aa06a49258c.jpg)
そこで看護師さんが、おばあさんの血液と私のものとを混ぜ合わせるかなんかして、「大丈夫」と言った。
さっそく横のベッドに寝た私から採血し、それをすぐに直接そのかたに輸血した。
私と同世代くらいのお孫さんが、「輸血が一番効くんです」と言った。
終わると、おばあさんは細い手で弱弱しく500円札を私に差し出し、
「これでお茶でも飲んでください」と言った。
私はとても困ってしまった。
断るべきだったのかもしれない。
しかし、そのかたの気持ちを考えると、断るということができず頂いてしまった。
帰ってから母に話すと、「なぜ断らなかったの?」と言われた。
どうするべきだったんだろう?
それからしばらく、このことで気持ちが沈んでしまった。
もう一つは、バタヤ部落の子どもたちと遊ぶ、というものだった。
これはセツルメントと呼ばれた。
場所をはっきり覚えていないが、日暮里の近くだったと思う。
![Women playing with children](https://tamichat.com/wdps/wp-content/uploads/2020/12/ea6891f6575277b759ee6443184d5023.jpg)
「バタヤ」というものが、どういうものなのか知らなかったが、廃品回収をする人たちのことのようだった。
その人たちが集まって暮らしているところが、バタヤ部落である。
敷地に小さい教会があったように覚えている。
では、これが蟻の街だったのかというと、そうではなかったと思う。
その辺の記憶はあいまいだ。
大人が仕事に出ている間、子どもたちと遊ぶのだ。
一人の小さい男の子が、私の背中におぶさって離れなくなった。
その子は、ちょっと嫌われ者のようだった。
ずっと背中に乗っていて、降りようとしなかった。
その子が不憫な感じもしたし、可愛くもあった。
うんと可愛がってあげたいなと思った。
このボランティアは、どういうきっかけか忘れたが、3回ぐらいで辞めた。
しかし、ここで体験したことが、その後の仕事の選択に影響を与えたと思う。
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