第25話 漫画「おしゃかさま」

buddha 学童期(関西編)

   
 テレビもゲームもなかった当時、私の楽しみは、もっぱら本を読むことだった。

同居していたそう祖父そふは、80歳ぐらいだったと思うが「お仕事」と称して、たまにハイヤーで出かけた。

そのとき必ず本を買ってきてくれた。

「ノンちゃん雲に乗る」とか、講談社の世界名作全集「家なき子」とか。

   

それまでは、絵本に短い文章が添えられているようなのを読んでいた。

小さな文字がぎっしり並んでいる本を読んだのは、初めてだった。

小学1年生のときのことだ。

ご飯の時間になっても行かずに熱中して読み、なんども読み返した。

   
   

 漫画もあった。

武蔵むさしぼう弁慶べんけいという漫画が好きで、何回も読んだ。

義経よしつねのことはほとんど印象がなく、最後に弁慶が立ち往生する場面に、涙したことを覚えている。

   
   

また、特別に心かれたのが、「おしゃかさま」という漫画だ。

初めはスマートだったゴータマシッダルタ王子が、途中から急に奈良の大仏みたいな形になるのが変だったが。

   

 その中で不思議に思ったことがいくつかある。

一つ目は、マヤ夫人が赤ちゃんを産むと、その赤ちゃんが手のひらに立って上と下を指さした絵。

赤ちゃんが小さすぎるのと、すぐ立てるのが変だった。
   

次が、ゴータマシッダルタが何不自由なく暮らしているのに、急に悩んで家出するところだ。

なぜ?
   

そして最後に、おしゃかさまが大きな樹の下(いわゆる提樹だいじゅの下)に座って、何日も目をつぶってじーっと考えているうちに、

突然「わかった! 道がわかった」というところである。

道ってなに? 道が分かるとどうなの?
   

道が分かってからは、おしゃかさまはいろんな人に話をしたり、助けたり、親切にしたりして、最後は動物たちにも囲まれて横になって死ぬ。

意味の分からないところが多い漫画だったが、なぜか面白くて何回も読んだ。

   

 ある日、母に質問した。

「神様って、ほんとうにいるの?」

母の答えは次のようであった。

「いると思う人にはいるし、いないと思う人にはいないのよ」

「へぇ~」と思ったが、なんとなく納得し、それ以上は追及しなかった。

   

   

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