前に述べたように学校での私は、右も左もわからない、なにをさせても要領を得ず、ぼーっとして動きがのろい、おとなしい子どもだったのだと思う。
しかし家に帰ると、全く違った。
母の里の家は傾斜地に建っており、土地の低いところから見ると3階建てに見え、道路から見ると2階建てという外観だった。
裏庭の方から、なだらかな階段を駆け下りていき、家をぐるっと回って、反対側の斜面を駆け上がると表玄関の前に出る、という風な作りになっていた。
これを利用して、家の周りを縦横に駆け回って、男の子たちとチャンバラごっこをしていた。鷹揚な家庭だったので、男の子がたくさん遊びに来ていた。
母は、高いところの窓から、紙に包んだおやつを落としてくれたりした。
全く気取らない家庭だった。
学校が休みの日には校庭に行き
(ちなみに家は、道路を挟んで学校の斜め向かいにあった)、
滑り台を、頭を下にして逆さに滑り降りたり、
ぶらんこを漕ぎまくったり、
今で言うのぼり棒(そのころは確か「サルのぼり」と呼んでいた)をするすると登ったり。
家の中では、柱と柱の間に両手両足を渡してつっぱり、天井まで登ったりと、大変活発に動いていた。
おそらく基礎的な運動能力は、体育の授業ではなく、これらの遊びによって培われたと思う。
体育の授業で覚えていることと言ったら、ボールを思い切り投げるように言われ、思い切り地面に叩きつけ、先生が「あちゃー」という顔をしたことぐらいだ。
また、友だちがまりつきをする時の格好を「〇〇さんはこう、〇〇さんはこう」と真似して見せ、母を笑わせていた。
振り返ってみると、このころは、学校という場所でどういうことが求められているのか、どう振る舞ったらいいのかが全く分からず、本来の姿が出せていなかったのだろうと思う。
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