番外編17 お手伝い

Children helping 番外編

     
 今の子どもは、お手伝いより勉強することを求められているようだ。

勉強が必要ないというのではないけれど、お手伝いの大切さを、もっとアピールしてもいいのではないだろうか。

   

 私は小学3年生の時から、夕飯の後の洗い物をしていた。

その頃は、へちまに磨き砂をつけて洗ったものだ。

へちまの実の繊維だけを取り出したもので、スポンジに似たような弾力性がある。

   

   

磨き砂というのは、クレンザーのもっときめの粗いものと言ったらいいだろうか。
   

お茶碗をこすると、ギシギシと嫌な音がするし、磨き砂のついた食器を重ねると、これまたギシギシと音がする。

お湯など出るわけがなく、水で洗った。

それでも、それを辛いなどとは全く思わず、すごいでしょ、こんな小さい子がやってるんだよ、というプライドがあった。

   

   

 お手伝いというものは、やらせ方にもよるのかもしれないが、子どもにとっては机の上の勉強より、よほど面白いのだ。

やったことの成果がすぐ目に見えてわかるし、自分が親や家族の役に立っているという充実感がある。

   

 高校生の頃から、日曜日の洗濯は一手に引き受けた。
   

その頃、洗濯機がなぜか物置に置いてあった。

風呂場から至近距離にあり、ふろの残り湯を、窓から物置の洗濯機にホースで引き込むことが得意だった。

ホースを口にくわえて吸って、口に来るギリギリのところで止め、ホースに指で蓋をし、素早く洗濯機に入れる。

すると、見事に残り湯が入っていくのだ。
   

母は「よくそんなことができるわね」と、半ば気味悪そうに言っていたが、

私としては、これってすごいだろ? と思っていた。

   

   

ちなみに先日テレビで、ふろの残り湯は、翌日には雑菌が1000倍になると言っていた。

ギョッ! ずいぶん危険なことをしてたんだなあ。

   

 また、下駄箱にある家族の靴を全部出して磨いていくということを、半ば趣味としてやっていた。

きれいになっていくのが楽しいのだ。すべての靴がピカピカになり、達成感に満ちた。

   

   

 社会人になって仕事をするようになると、仕事の多くの部分が作業であることに気づく。

その基本がお手伝いだ。

お手伝いをするときには、その作業をするための段取りを考えるし、どうしたら一番効率よくできるかを自然と会得していく。

これは将来社会に出て仕事をする時に、とても役に立つと思う。

   

 最近、職場の同僚から聞いたことがある。

新人の女の子に「トイレを掃除してください」と言ったら、掃除機を便器の中に突っ込もうとしていたというのだ。

これは極端な例かもしれないが、お手伝いは大事だぞ! と言いたい。

   

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