第31話 ヅカファン

takarazuka 学童期(関西編)

    
 「おーーたっからづかー、・・・・注1 とラジオから歌が聞こえる。

すみれのはーなー、さくーころー注2

母の妹は、宝塚の大ファンだった。

宝塚は、母の里の家から阪急電車で比較的近くだった。

   

 母に連れられて、宝塚を観に行ったことがある。

私が小学校1年生ぐらいだから、昭和27年ごろだと思う。

演目はたしか「源氏物語」だった。
   

そのほかに覚えているのは、寸劇のようなものだったと思うが、「トウランドット姫」という人が乗ったゴンドラが、舞台の端から滑り出てきたことだ。

そのときの歌がなぜか「ホフマンの舟歌」だった。

その優雅なメロディーとともにゴンドラが滑っていくのが、とても興味深く、きれいだなあと思った。
   

ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach)「ホフマン物語」より「ホフマンの舟歌(バルカロール)」

   

源氏物語は話の筋がよくわからなかったが、「葵の上」とか「夕顔」などの名前が出てきた。

「葵の上」が病気で寝ている場面を覚えている。

舞台の最後はフィナーレで、音楽、衣装、ダンス、とてもきらびやかだった。

母は、けっこう興奮していた。

   
   

 「源氏物語」に出てきた「むらさきのー・・・」という歌が耳に残り、家の庭の境目にある低い塀にまたがって、一人で歌っていた。

たぶん、「紫の上」のことを歌った歌だったのだろう。

   

 宝塚スターの名前で憶えているのは、筑紫つくしまりだ。

母の妹が、筑紫まりのファンだったのだと思う。

パンフレットのようなものや、筑紫まりの写真が載っている雑誌などをよく目にした。

   
たしか、そのころ宝塚大劇場のあったところには、遊園地や動物園もあったように記憶している。

今はどうなっているのだろう。

   

 後に中学生になったとき、東京にも宝塚があることを知り、驚いた。

友だちの中に宝塚ファンがいて、その当時はテーリーこと明石あかし照子てるこ、マッちゃんこと寿美すみ花代はなよがスターだった。
   

注1「おゝ宝塚」 作詞 白井鐡造
注2「すみれの花咲く頃」 日本語詞 白井鐵造

   

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