当時は、「くずーい~、おはら~い」と言いながら、くずやさんが道を歩いていたものだ。
リヤカーを引きながらの人もいれば、ナンキン袋のような大きな袋を、肩に担いでいる人もいた。
くずやさんが一軒一軒「おはらい物はありますか?」と聞いてまわったり、
あるいは必要な人が、掛け声を聞いて呼び止めたりした。
私はそのころ、くずやさんの機能を理解しておらず、くずやさんは、くずを集めてまわる人だと思っていた。
そしてなぜか怖い人だと思っていたのだ。
それは母が「くずやさんに、袋に入れて連れて行かれたらどうする?」
などという、子どもを恐怖に陥れるような冗談を、平気で言ったりするからだった。
幼心に、あの大きな袋の中に子どもを入れて歩いているのかな、と本気で思ったりしたものだ。
(くずやさん、ごめんなさい)
もう少し大きくなると、子どもを連れて行くなどとはさすがに思わなくなったが。
くずやさんに出すものと言うと、いらなくなった何かの道具だったり、衣類もあったように覚えている。
分銅のついた天秤ばかりで重さをはかり、計算してお金を出す。
あの天秤ばかりは懐かしい。
重さのバランスを取るために手際よく分銅を足したり、メモリを指す針を微妙に動かすのが興味深かった。
いらなくなったものを持って行ってもらうのに、なぜお金をもらうのか不思議だったが、
要するにくずやさんとは、今でいう廃品回収業のようなものだ。
昔ならくずやさんに、おはらいものとして出していたようなものは、今はだいたい燃えないゴミとして廃棄される。
チリ紙交換というものもなくなり、紙類は資源ごみとして回収される。
合理的になったと言えばそうだが、人との触れ合いは減っている。
しかし、なぜ「くずや~おはら~い」でなく、「くずーい~おはら~い」なのだろう。
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