第118話 相変わらずの滑り込みセーフ

Woman who stayed up all night青年期

 大学卒業を控えた年末、卒業試験の一部であるレポート作成に四苦八苦していた。1967年12月のことだ。

レポートは、タイプライターで打って提出しなければならなかった。

   

 当時、パソコンはおろか、ワープロさえなかった。

打つものと言えば、タイプライター、タイプライターと言えば、オリベッティだった。

3年生のときだったか、オリベッティのタイプライターを買ってもらい、近くの教室を探して、打ち方を習いに行った。

   

 そこには、ちょっと疲れた顔の中年のおじさんが多く、おばさんもいた。若造は、私一人だったように思う。
   

女性のインストラクターの指導のもと、基礎から教わった。

キーボードのアルファベットの並び順は、現在のパソコンのキーボードと同じだった。

今でも、パソコンでなにか打とうとするとき、まず、両手の人指し指をFとJの上に置くという習慣は、この時にできたと思う。

   

   

友だちは、一定時間に何ワード打てるかという検定を受けたりしていたが、そういうことに熱心ではない私は、打つのが遅かった。

   

 そのレポートは、仕上げた翌日に発送すれば、ギリギリ期日に間に合うという状況だった。

内容をまとめるのもさることながら、打つのにも時間がかかり、結局、仕上げた時には、完全に夜が明けていた。完徹だ。

   

 当時、子どものための福祉機関に週2度ほど通っており、保育や療育の手伝いをしていた。

冬休みに子どもたちのための合宿をするから参加するように、と言われていた。伊豆の下田に〇時に来るよう指示されていた、それが徹夜明けの日だったのだ。

   

家の近くの郵便局は、もちろんまだ開いていない。

仕方がない、下田から出そうと思って、その大切なレポートの入った封筒を持って、東京駅から急行「伊豆号」に乗った。

下田に着き、急いで郵便局を探して駆け込み、速達で出した。
   

 「やれやれ、間に合った!」
   

こんな調子で、なんとか卒業にこぎつけた。

   

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