東京に帰って初めのうち身を寄せていた父の実家の祖父は、相当な変わり者だった。
朝、定時に起きると、必ずガウンを着て風呂場に向かい、どうやら水浴びをしているらしかった。
裏の別棟に暮らす祖母がやってきて、食事だけ作って帰っていく。
メニューは毎日、厚切りのトーストと、すき焼きだった。
毎日これでいいのかなあ、と子ども心に心配したものだ。
私たち家族は別の部屋で食事をとっていたので、細かいことはよくわからなかったが。
いつか、私たちがロールキャベツのキャベツを食べていると、
部屋の前を通りかかった祖父が「なんだ、雑巾を食べておるのか」と、たぶん冗談のつもりで言ったことがある。
夕方5時になると、決まって門を閉めに行く。
そして夜8時になると、家のあらゆる鍵を閉め、外来者は入れないと決めていた。
当時は電話が各家庭に普及しておらず、インターネットなど夢のまた夢の時代、緊急連絡は、一般的に電報によって行われた。
ある日の夜8時過ぎ、「電報です!電報です!」と配達員の声が聞こえた。
祖父はあろうことか「もう寝ました!」と大声で怒鳴り返し、追い返そうとしたのだ。
家族はみなびっくり。
「電報ですよ!」と配達員は大きな声で繰り返す。
母が、祖父にわからないように、そっと受け取ったが。
祖父は昼間、縁側に椅子を出して座り、そこで繕い物をするのが日課だった。
糸を通した針がたくさん針山にさしてあり、それを使って自分の衣類の繕いをしているらしかった。
糸を通した針がなくなると私たちのところに針と糸を持ってきて、通してくれと頼んだ。
私はこういう仕事をするのが好きだったので、妹と一緒に適当な長さの糸を全部の針に通し、祖父のところに持っていく。
すると祖父は必ず「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と3回重ねてお礼を言った。
このときの声は、電報の配達員に「もう寝ました!」と言ったときの声とは打って変わって、優しい声だった。
祖父が亡くなったのは、私が中学1年生のときだったと思う。
棺に納められた祖父を見て、「おじいちゃん、こんなに小さかったかなあ」と思ったことが記憶に残っている。
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