中学校の校長先生は体格がよく、優しい先生だった。
あるとき、どういう集まりだったか忘れたが、全校生徒が講堂に集まって校長先生の話を聞いた。
それは、ご自身が戦争に行った時の過酷な体験だった。
おそらくまだ青年であっただろう先生は、南方の戦地に送られたということだ。
その地で「椰子の実」を、その時のご自身の境遇に重ねてよく歌ったと話された。
そして最後に「椰子の実」を歌われた。
張りのあるバリトンで堂々とした歌いっぷりであった。
私は「校長先生は歌が上手だなあ、いい声だなあ」ぐらいにしか感じなかった。
本当に幼い感受性しか持ち合わせていなかった。
今改めて「椰子の実」を歌ってみると、
校長先生が若き日にどのような思いでこの歌を歌ったのか、
私たちに何を伝えたかったのか、
遠い戦地に赴いた人々のことに思いを馳せ、涙が流れる。
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の實一つ
・・・・・・
實をとりて胸にあつれば
新(あらた)なり流離の憂(うれひ)
海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙
思ひやる八重の汐々(しほじほ)
いづれの日にか國に歸らむ 注
故国に帰ることが叶わなかった多くの人々がいる。
戦争というものが、どれほど人間性を踏みにじり、残酷なものなのかを忘れてはならないと思う。
注 「椰子の實」 島崎 藤村
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