第89話 上野発の夜行列車→青函連絡船で北海道へ

Mount Hakodate 思春期

   

 高校の修学旅行は北海道だった。

北海道には行ったことがなかったから、修学旅行先が北海道だと聞いて、この学校を選んだ。

選択の基準がおかしいかもしれない。
   

この旅行は2年生のときに実施された。

2年だから修学ではないだろうということで、違う名前がついていたような気がするが忘れてしまった。

   

 新幹線も青函せいかんトンネルもない時代。

上野発の夜行列車に乗り込んだ。

列車で 一晩明かすわけだが、なぜか女子は着替えさせられた。
   

貸し切り列車のトイレ前やデッキのあたりを更衣室にして、順番にズボンとポロシャツに着替えた。

(当時はTシャツという概念がいねんがなかった)

女子が制服で寝ると、なにか不都合な点でもあったのだろうか?

   

 夜行の座席で寝るというのは難しい。

乗り物で居眠りはできるのに、夜、正式に寝ようとなると容易よういなことではない。

せいぜい寝たふりをするのが関の山だ。

   

 早朝の青森に着いたときは眠かった。

6月だったので津軽海峡つがるかいきょうは雪景色ではなかったが、

小学生のとき竹芝桟橋さんばしから船に乗って千葉の保田ほたまで臨海学校に行ったときとは違って、なんとなく寂寥せきりょう感があった。

   

 青函せいかん連絡船に乗るに当たって不安なことがあった。

小さいときに見聞きした洞爺丸とうやまるの悲劇も頭にあったが、心配なのは船酔ふなよいだった。

以前、船に酔ってえらい目にったのだ。

車酔いとは段違いに気持ちが悪い。
   

甲板かんぱんは寒かったので、船底ふなぞこの畳の部屋で友だちとごろごろした。

寝っ転がっていると、揺れるたびにぐらぐら振られて体が安定しない。

結局座った。

   

 心配したほど船酔いもなく、無事、函館はこだてに到着。

初めの宿泊場所は函館ではなく、定山渓じょうざんけいだったと記憶している。

10日間ほどの北海道旅行が始まったのだが、詳細しょうさいは続編として次回に書くつもり。

・・to be continued

   

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