第78話 学校清ければ、生徒棲まず

Monet's Pond 思春期

   
 中学校の校舎は、お世辞にも立派ではなく木造モルタルという感じのぱっとしないものだった。

トイレは別棟、もちろん水洗ではなく汚くて臭い。

あんなトイレで女子はよく用を足せたなあと今は思う。

その当時は別にどうとも思わなかったが。

   

 制服も後ろから見ると都電の運転手さんみたいでダサかった。

(都電の運転手さん、ごめんなさい)

素敵な校舎におしゃれな制服といったものからはほど遠い、色気のない学校だった。

   

 生徒たちはどうかというと、普段は口々に好き勝手な理屈をこねていたが、運動会などになると俄然団結した。
   

運動会は、全学年を縦割りにしてクラス対抗で行われた。

運動会の前には上級生に命令されて、クラスのマスコットづくりに駆り出された。

クラスごとにマスコットを決めて、巨大な人形のようなものを作る。

   

日曜日に学校に行き、上級生の指示に従って働いた。

小麦粉をボールに入れたのを渡されて「用務員室で、のり作ってきて」と言われ戸惑ったが、それを持って用務員室に行った。
   

小麦粉

   
当時、用務員さんは住み込みだった。

「それ、どうするの?」と聞かれ、答えると、「じゃ、水はこのぐらい入れて」と教えられ、なんとかのりらしいものを作った。

マスコットは鉄人28号だったように覚えている。

日曜日に生徒たちがこんなことをしていることに、先生方は一切関わっていなかった。

   
   

 校則と呼べるようなものはほとんどなかった。

制服は指定されたものでなくても、それに近ければいいという風だった。

髪型も自由、スカートの長さや靴を指定されるなどということもない。

これが時代的なものなのか、私たちの中学校の特色だったのかはわからないが、全体的に自由放任という雰囲気だった。 

   
   

 ある日のこと、国語の先生が黒板に大きな字で「学校清ければ、生徒まず」と書いた。

「水清ければ(うお)棲まず」をもじったものであったが、先生はこの意味をあえて解説しなかった。

私は「学校の校舎はぼろくて汚いが、生徒はピカイチだ」と見当はずれな解釈を勝手にしていたが、これは間違っているだろう。
   

生徒たちにあまりうるさく言わず、一見ルーズに見えるやり方で自由にさせる。

これは居心地が良いだけでなく、主体的に、よく育ってくれるということを言いたかったのではないかと思う。

その当時は特に思わなかったが今振り返ると、いい中学校だったと思う。

   

コメント

  1. くりクリ太 より:

    はじめまして、楽しくよませてもらっています。
    私は新潟県の小さな町で全くおんなじカンジで育ちました。
    今度はお祭りに行ったことや宿題のこと初めてお金を使った事など書いて下さい。
    ロバが引いてくる移動のパン屋もありました。
    色々思い出して楽しいです。

    • tamichat より:

      くりクリ太さま

      はじめまして。
      コメントありがとうございます。
      思い出を共有していただけて嬉しいです。
      リクエストにもお応えしていきたいと思っておりますので
      お待ちいただければ幸いです🙂
      今後ともよろしくお願いいたします。

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