修学旅行は、お決まりの奈良・京都であった。
事前学習がやたらとあり、見学する寺社のことや仏像、歴史的建造物などについていろいろとお勉強したが、
長い説明を聞くのが苦手な私は、いい加減にしか聞いていなかった。
最近は修学旅行もデラックスで、飛行機で往復したりするらしいが、
そのころ、新幹線はまだなかったし、特急で行ったのかというと、いや、そうじゃなかった。
急行列車で京都まで行き、そこからバスで奈良へ行った。
旅館に着いてすぐ寝る感じだった。
引率した先生方も、さぞお疲れだっただろう。
奈良の大仏は、関西にいた小学1年生のときに行ったことがある。
そのときはどれが大仏なのか、わからなかった。
たぶん大仏の台座のあたりしか見えていなかったのだろう。
今回はちゃんと見た。
唐招提寺のたたずまいは、いいなあと思った。
奈良の鄙びた道を歩くのも楽しかった。
京都ではずいぶんたくさんのお寺や神社を見学したが、好きだったのは、天龍寺、三千院、寂光院だ。
先生が、平等院の鳳凰堂を眺めて
「昔の人はあれを見て、ほんとうに極楽を見るような気がしただろうなあ」
と言っていたが、全く共感できなかった。
それを味わうのは、中学生にはまだ早かったのかもしれない。
修学旅行と言えば、友だちとおしゃべりしたり、好感を持っている男子が、どの女子を気にしているのかを気にしたりと、そっちのほうが忙しいものだ。
そんなある夜、全クラスの女子をいくつかのグループに分けて夕食をとった。
話のテーマは、やはり恋バナ(恋の話)となった。
私はどちらかというと奥手で、もっぱら聞き役だった。
そのとき隣のクラスの女子が言った。
「好きだと思ったら、自分から好きだってことを伝えなきゃだめよ」と。
「えっ?」と思った。
「その人が自分のことを好きかどうかも分からないのに、そんなこと言ったら嫌がられるんじゃない?」
と言うと……
「そんなことないのよ。
男の人は、その人が好きだということより、好かれていることが好きなんだから、好きだって言えば絶対に喜ぶのよ」と。
へえ、そういうものなのか、と内心驚いた。
私と同い年なのに、男の人の気持ちをよく知っているんだなあ、ませているなあ。
ただその人を想い、向こうから働きかけてくるのを待っていても、想いは叶わないと教えられたときだった。
最後の晩に、友だちとお土産を買いに街へ出て、扇子屋さんに立ち寄った。
そこには、「Goodbye Jimmy, Goodbye」が流れていた。
いい歌だなあと思って聞いていた。
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