第68話 家庭電化

Ice shop 思春期

   

 1950年代になっても、まだ水道が引かれていない地域がけっこうあった。注1

うちもそうだった。

井戸水を電気ポンプでみ上げて使っていた。

  

 井戸水は、夏は冷たく冬は温かい。

ビールや(そのころは瓶ビールが普通だった)すいかを、裏の流しで井戸水を流しっぱなしにして冷やしたものだ。

   

 冷蔵庫は氷で冷やす仕組みで、扉が分厚く、容量が小さく、すいかを入れるすきがなかったように覚えている。
   

当時は氷屋さんが氷を配達した。

氷をのこぎりで切る音が、とても涼やかだった。

氷屋さんは、冬になると炭屋さんになった。

   

 いわゆる三種の神器じんぎと呼ばれた電気製品のうち、洗濯機は母のうったえでかなり早くから導入されたが、テレビと冷蔵庫は、私が中学生になってからである。注2
   

そのころの洗濯機はと言うと、「しぼりき」というものがついており、洗い終わった洗濯物を、ローラーの間に挟んでハンドルをぐるぐる回して絞るというものであった。

とはいえ、タライと洗濯板で洗濯する重労働から解放されて、母もずいぶん楽になったはずだ。

   

たらいと洗濯板
洗濯機

   
   
   
 朝は、牛乳屋さんが自転車で配達する音で目が覚めたものだ。

家々の裏口辺りに牛乳箱が設置されており、そこに配達される。

からの瓶は持って行ってくれる。

考えてみると合理的だ。

   

 電気冷蔵庫が来てからは、その牛乳瓶が1リットル入りの大きな瓶に変わった。

今では1リットル入りのパックは普通だが、そのころはとても大きな瓶に見えた。

アメリカの家庭みたいだなあと思った。

   

 また、母のいわゆるママ友で、母よりかなり年上だった方に「電気掃除機、あれはいいよ」とすすめられ、さっそくそれも導入された。

テレビについては、また別の機会に書こうと思うが、こんな風にして家庭電化が始まったのである。

   

注1 厚生労働省「水道普及率の推移(平成30年度)」
https://www.mhlw.go.jp/content/000624219.pdf
   厚生労働省「水道の基本統計」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/topics/bukyoku/kenkou/suido/database/kihon/index.html
注2 帝国書院「耐久消費財の世帯普及率の変化」
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index13.html

   

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