テレビもゲームもなかった当時、私の楽しみは、もっぱら本を読むことだった。
同居していた曽祖父は、80歳ぐらいだったと思うが「お仕事」と称して、たまにハイヤーで出かけた。
そのとき必ず本を買ってきてくれた。
「ノンちゃん雲に乗る」とか、講談社の世界名作全集「家なき子」とか。
それまでは、絵本に短い文章が添えられているようなのを読んでいた。
小さな文字がぎっしり並んでいる本を読んだのは、初めてだった。
小学1年生のときのことだ。
ご飯の時間になっても行かずに熱中して読み、なんども読み返した。
漫画もあった。
武蔵坊弁慶という漫画が好きで、何回も読んだ。
義経のことはほとんど印象がなく、最後に弁慶が立ち往生する場面に、涙したことを覚えている。
また、特別に心惹かれたのが、「おしゃかさま」という漫画だ。
初めはスマートだったゴータマシッダルタ王子が、途中から急に奈良の大仏みたいな形になるのが変だったが。
その中で不思議に思ったことがいくつかある。
一つ目は、マヤ夫人が赤ちゃんを産むと、その赤ちゃんが手のひらに立って上と下を指さした絵。
赤ちゃんが小さすぎるのと、すぐ立てるのが変だった。
次が、ゴータマシッダルタが何不自由なく暮らしているのに、急に悩んで家出するところだ。
なぜ?
そして最後に、おしゃかさまが大きな樹の下(いわゆる菩提樹の下)に座って、何日も目をつぶってじーっと考えているうちに、
突然「わかった! 道がわかった」というところである。
道ってなに? 道が分かるとどうなの?
道が分かってからは、おしゃかさまはいろんな人に話をしたり、助けたり、親切にしたりして、最後は動物たちにも囲まれて横になって死ぬ。
意味の分からないところが多い漫画だったが、なぜか面白くて何回も読んだ。
ある日、母に質問した。
「神様って、ほんとうにいるの?」
母の答えは次のようであった。
「いると思う人にはいるし、いないと思う人にはいないのよ」
「へぇ~」と思ったが、なんとなく納得し、それ以上は追及しなかった。
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