3年生のとき、クラスに Fくんという友だちがいた。
おだやかで静かな男の子だった。
あるとき、Fくんがしばらく休んでいた。
疫痢という病気だったような気がする。
今はあまり聞かないが。
そして、ある朝突然クラスのみんなは、Fくんが亡くなったことを知らされたのだ。
そのことをどう受け止めたらいいのか、子どもにはどうしたらよいか、わからなかった。
泣き出す子もいた。
数日たって、私たちは F君の家に招かれた。
そのとき Fくんのお母さんと一緒に男の人がいて、それは牧師さんだった。
Fくんが天国に行ったこと、今は神様と一緒にいるということ、悲しまなくてもいいことなど、牧師さんのお話を静かに聞いた。
そして、小さな紙に印刷された歌を教えてもらって、一緒に歌った。
こんな歌だった。
主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ
わが主エス、わが主エス、わが主エス、われを愛す 注1
もう一つは、こんな歌だった。
神様は軒の小すずめまで、おやさしくいつも守りたもう
小さいものをも恵たもう 神様のみなをたたえましょう 注2
うちに帰って母にこの紙を見せると、懐かしそうに一緒に歌ってくれた。
母はクリスチャンだったのだが、そのころ父が宗教を拒否していたので、母はそれらしい生活を見せていなかったのだ。
私は Fくんのうちの、あじさいがたくさん咲いていた庭と、あたたかい家庭の雰囲気とともに、この歌が心に残り、よく歌っていた。
神様って本当にいるんだなあ、神様が愛してくれるってどういうことなんだろう、と思った。
注1「主われを愛す」 讃美歌461番(讃美歌21 484番)
注2「神様は軒の小すずめまで」 詩 Maria Straub
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