1963年11月22日(日本時間で23日)のことだ。
ゆっくり起きて、テレビを見ていた。
日米間初の衛星中継が行われるという記念すべき日だった。
そのとき、この初の衛星中継から、とんでもないニュースが飛び込んできたのだ。
ケネディ大統領暗殺である。
世界中に衝撃が走った。
今のところ、アメリカの大統領はバイデン氏に決まりそうだということだが、巷にはトランプ氏の再選もあるという噂が流れている。
どちらに決まっても、あまりぞっとしないと思うのは私だけだろうか。
オバマ大統領は日本でも人気があったが、ケネディ大統領の人気はその比ではなかった。
ジャクリーン夫人とともにアイドル的な存在だった。
私の「映画大好き友だち」も、ケネディ大統領のファンで、ジャクリーン夫人にも、とても興味を持っていた。
友だちはファッションに関心があり、自身も洋服のセンスが個性的で素敵だった。
ジャクリーン夫人のファッションセンスが素晴らしいということで、彼女は常にそのことに注目していた。
葬儀の模様が、繰り返しテレビで放映された。
二人の小さなお子さんを両手につないで、喪服に身を包み立っていたジャクリーン夫人の姿が、とても印象に残っている。
特に、3歳の坊やが、大統領の棺が通るときに一歩前に出て小さな手で敬礼していたのが、人々の涙を誘った。
友だちと私は、東京四谷の聖イグナチオ教会で行われた追悼ミサに参列した。
寒い冬の日だった。
やがて春の兆しが感じられる頃となり、私たち4人組は、それぞれの道に進もうとしていた。
いつものようにトランジスタラジオを聞いていた。
どこの局か忘れたが、その時聞いていたのは、東京大学の合格者発表だ。
今ではこんな放送はあり得ないと思うが。
アナウンサーが、理科一類とか文科一類とか、カテゴリー別に合格者の名前を言っていく。
その中に、知っている名前がちらりほらりと出てきた。
「ああ、彼、やっぱり頑張ったんだなあ」と感慨にふけりつつ、高校生活も終わりを告げようとしていた。
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