第24話 家では本来の姿が

play sword fight 学童期(関西編)

   

 前に述べたように学校での私は、右も左もわからない、なにをさせても要領をず、ぼーっとして動きがのろい、おとなしい子どもだったのだと思う。

しかし家に帰ると、全く違った。

   

 母の里の家は傾斜地けいしゃちに建っており、土地の低いところから見ると3階建てに見え、道路から見ると2階建てという外観だった。

裏庭の方から、なだらかな階段を駆け下りていき、家をぐるっと回って反対側の斜面を駆け上がると表玄関の前に出る、という風な作りになっていた。

   

 これを利用して家の周りを縦横じゅうおうに駆け回り、男の子たちとチャンバラごっこをしていた。

鷹揚おうような家庭だったので、男の子がたくさん遊びに来ていた。

母は、高いところの窓から、紙に包んだおやつを落としてくれたりした。

全く気取きどらない家庭だった。

   

 学校が休みの日には校庭に行き(ちなみに家は、道路を挟んで学校の斜め向かいにあった)、

滑り台を、頭を下にして逆さに滑り降りたり、ぶらんこをぎまくったり、今で言うのぼり棒(そのころは確か「サルのぼり」と呼んでいた)をするすると登ったり。

   

 家の中では、柱と柱の間に両手両足を渡してつっぱり、天井まで登ったりと、大変活発に動いていた。

おそらく基礎的な運動能力は、体育の授業ではなく、これらの遊びによってつちかわれたと思う。
   

 体育の授業で覚えていることと言ったら、ボールを思い切り投げるように言われ、思い切り地面にたたきつけ、先生が「あちゃー」という顔をしたことぐらいだ。

   

 また、友だちがまりつきをするときの格好かっこうを「〇〇さんはこう、〇〇さんはこう」と真似まねして見せ、母を笑わせていた。

   

 振り返ってみると、このころは学校という場所でどういうことが求められているのか、どう振る舞ったらいいのかが全く分からず、本来の姿が出せていなかったのだろうと思う。

   

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