古いアルバムを開くと、桜の花の形をした名札を胸につけランドセルを背負って、庭に出した籐椅子に座った曽祖父と並んで撮った写真がある。
しかし、この写真を撮ったときの記憶は全くないし、入学式のことも全然覚えていない。
どうしてだろう?
幼稚園に行かなかった私は、初めての集団生活であった。
そのことを差し引いたとしても、少し変わった子だったかもしれない。
学校に入る前の、たぶん今でいう就学時検診のとき「お名前は?」と聞かれ、下の名前を言った。
その人はフルネームを言わせたかったらしい。
「それは苗字で、名前じゃないから」と言ったことをはっきり覚えている。
教室でも、先生が何か話していることは分かるが、なにについて話しているのか、さっぱりわからなかった。
周りを見て、みんなの真似をして動いていたように思う。
「ハンカチ落とし」をしたことを覚えているが、
鬼がハンカチを持って輪の周りを走り、どこかにハンカチを落とす、ということの意味がわからなかった。
鬼は、どうやって誰の後ろに落とすのかを決めるのか?
前を向いているのに、自分の後ろに落とされたことを、どうやって気が付くのか?
なぜこんなことをしなければならないのか、どこがおもしろいのか、さっぱりわからなかった。
また、今でいう「中当て」、つまりドッジボールの簡略版のようなものを突然やらされ
(突然ではなく、それが始まるまでの先生の説明や、やりとりがあったのだろうが、私にとっては突然だった)
なにがなんだかわからず、ボールが怖くて、ただただ走り回った。
楽しくはなく、苦痛であった。
(後に6年生になったころは、ドッジボールは大得意だった)
授業で何をしたかなどは、全くと言っていいほど覚えていない。
算数とか国語とかあったのだろうが覚えていることと言ったら、
教科書を読まされ、先生から「蚊の鳴くような声だなあ」と言われたことぐらいである。
たぶん、みんなに聞こえるように読むということが分かっていなかったし、
まして、なぜそんなことをしなければならないのか、わかっていなかったのだろう。
こんな様子だったため、先生は母を呼び、知能が遅れているのではないかと話したそうだが、
母は「そんなことありませんよ」と一蹴したということだ。
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