第91話 速く走るには?・・運動会いろいろ

white line 思春期

   

 初めての運動会は、何が何だかさっぱりわからん、で終わった。
   

   

 2回目の運動会は、おもらしをしたことしか覚えていない。
   

   

小学校

 東京の学校に転校してから、運動会が大好きになった。

運動会というものの全貌ぜんぼうが、やっとわかったのだろう。

   

 私が通った小学校では、運動会には家から体育の服装をして、男の子は帽子をかぶり、女の子は「はちまき」をして、地下足袋じかたびで登校した。

地下足袋というのは、足袋の足裏にゴム底がついていて、そのまま地面を歩けるようになっているものだ。

いつからか、地下足袋ではなく運動靴に変わったが。

   

 当日の朝、「運動会決行」の合図にアドバルーンが上がったり、打ち上げ花火が上がったりした。

「ドンドーン」という音や、「アドバルーンが上がってるわよ」という母の声にワクワクしたものだ。
   

 学校に着くと、運動場には真新しい白線が引かれ、音楽が流れている。

勇壮なミリタリーマーチが多かった。

私はうれしくなってけ回った。
   

運動会で活躍したのかというと、それは全くなく、徒競走ときょうそうも遅かった。

雰囲気ふん い きが好きだったのだ。

   

中学校

 中学校の運動会はどうだったかというと、毎年プログラムの最後を飾る、全校女子の「クラス対抗つな引き」が思い出に残っている。

運動会の名物だった。
   

 綱引きと言うのは、単純そうで難しい競技だ。

大勢の力が 一つになって綱に伝わらないと、効果が出ない。

それで「オーエス!」という掛け声が必要なのだろう。

懸命に力を込めてる私たちのわきで、これまた懸命に旗を振って応援する男子たち。

それがまた面白かった。
   

綱引き

   
 綱引きは、初めのうちは力が拮抗きっこうしてあまり動かないが、いったんどちらかに力のベクトルがかたむくと、一気いっきにそっちの方へと動いていく。

こんな感じで勝利したことが 一度はあったような気がするが、っても踏ん張っても、前へ前へと引きずられていく感触のほうが鮮明に残っている。

   

リレー

 運動会の花形と言えば、リレーだ。

あこがれだった。

しかし、リレーの選手になることは夢のまた夢だった。

   

 そんな私が、中学3年生のとき、走り方をとくしたようなのだ。

それまでは、足を全速力で回転させようとして首と肩のあたりに力を入れて、そっくり返って走っていたような気がする。

そこを変え、下半身の方にエネルギーを集約して、前へ前へという気持ちで前傾ぜんけいし走ってみたところ、速く走れたのだ。

誰か教えてくれたらよかったのに……。

   

 そんなけいがあり、高校2年生でついにリレーの選手になった。

昔の自分からは考えられないことだった。

そのとき、「靴を履いて走ったほうが速く走れるのよ」という親友のアドバイスをよそに、なぜか裸足はだしで走ったのを覚えている。

   

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