初めての運動会は何が何だか、さっぱりわからん、で終わった。
2回目の運動会は、おもらしをしたことしか覚えていない。
東京の学校に転校してから、運動会が大好きになった。
運動会というものの全貌が、やっとわかったのだろう。
私が通った小学校では、運動会には家から体育の服装をして、
男の子は帽子をかぶり、女の子は「はちまき」をして、地下足袋で登校した。
地下足袋というのは、足袋の足裏にゴム底がついていて、そのまま地面を歩けるようになっているものだ。
いつからか、地下足袋ではなく運動靴に変わったが。
当日の朝、「運動会決行」の合図にアドバルーンが上がったり、打ち上げ花火が上がったりした。
「ドンドーン」という音や、「アドバルーンが上がってるわよ」という母の声にワクワクしたものだ。
学校に着くと、運動場には真新しい白線が引かれ、音楽が流れている。
勇壮なミリタリーマーチが多かった。
私はうれしくなって駆け回った。
運動会で活躍したのかというと、それは全くなく、徒競走も遅かった。
雰囲気が好きだったのだ。
中学校の運動会はどうだったかというと、
毎年プログラムの最後を飾る、全校女子の「クラス対抗綱引き」が思い出に残っている。
運動会の名物だった。
綱引きと言うのは、単純そうで難しい競技だ。
大勢の力が一つになって綱に伝わらないと、効果が出ない。
それで「オーエス!」という掛け声が必要なのだろう。
懸命に力を込めて踏ん張る私たちの脇で、これまた懸命に旗を振って応援する男子たち。
それがまた面白かった。
綱引きは、初めのうちは力が拮抗してあまり動かないが、
いったんどちらかに力のベクトルが傾くと、一気にそっちの方へと動いていく。
こんな感じで勝利したことが一度はあったような気がするが、
踏ん張っても踏ん張っても、前へ前へと引きずられていく感触のほうが鮮明に残っている。
運動会の花形と言えば、リレーだ。
憧れだった。
しかし、リレーの選手になることは夢のまた夢だった。
そんな私が、中学3年生のとき、走り方を会得したようなのだ。
それまでは、足を全速力で回転させようとして首と肩のあたりに力を入れて、そっくり返って走っていたような気がする。
そこを変え、下半身の方にエネルギーを集約して、
前へ前へという気持ちで前傾し走ってみたところ、速く走れたのだ。
誰か教えてくれたらよかったのに……。
そんな経緯があり、高校2年生でついにリレーの選手になった。
昔の自分からは考えられないことだった。
そのとき、「靴を履いて走ったほうが速く走れるのよ」という親友のアドバイスをよそに、
なぜか裸足で走ったのを覚えている。
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